• プーシキンスペードの女王/ベールキン物語』岩波文庫 1-207p(読了)(3/200)
  • スペードの女王』僕の大好きなバクチをテーマにした小説なのだが、肝心の鉄火場の勝負の描写があまりにも簡潔すぎて熱くなれない。山場なのにあっさりしすぎ。これがプーシキンの想像力であり描写力なのか。
  • 『ベールキン物語』5篇の短編からなる作品だが、偶然によって結末が導かれるおとぎ話のような作品が多い。こんな童話・寓話のような筋書きの小説を「文学」と読んでいいものか。しかしこれは大学の「ロシア文学科」のテキストなのだ。
  • スペードの女王・ベールキン物語 (岩波文庫)

    スペードの女王・ベールキン物語 (岩波文庫)

  • 中村光夫『小説入門』新潮文庫 8-165p(読了)(4/200)
  • 著者は第一にセルバンテスからサルトルカミュに至るまでの海外の小説の流れ、二葉亭四迷から三島由紀夫大岡昇平に至るまでの日本の小説の流れを紹介し、第二に小説の美学について語る。著者のいう小説家になるための必要条件とは、優秀な小説の読み手になることである。よく読むことは、小説を書く者に欠くことのできない前提であり、一般に思われているほどやさしいことではないのです。(p165)ここでいうよく読むとは読みの深さも量も両方含めてよく読むということだろう。小説家を志望する人間には必ず(とも現代では言えなくなってきたけれど)一つ以上自分の理想とする先行する小説が存在し、そして彼らは書く作品をそれらの模倣から一歩先に進ませなければならない。小説家志望は自分に影響を与えた小説を愛でながらも批判的に超えていかなければならない。その際のモデル(=引き出し)は多ければ多いほどいい。私の理想型といえる小説に数多く出会うためには小説を数多く読むしかない。
  • この多読の際に私達は「自分に必要な小説を自分の手で探して読む」ということを、「有名な小説、評価の定まっている小説を手当たりしだいに読む」ということと錯覚しがちだ。自分に合わない小説は徹底的に合わない、どれだけ作品が文学史上に残る名作であっても。帯やあらすじを見て、中身をぱらぱらとめくってみて、タイトルから推測して、自分に必要そうなものの匂いを嗅ぎ取る。そういう手続きを経ないで手に取った小説に対し正当な読みなどできるものだろうか。
  • いや、小説などもっとも卑近な芸術、もっとくつろいで何気なく受容するべきかもしれないよ? そうした軽率な手続きから再読の糸口が生まれて、そうやって何度も繰り返し読んだ小説は間違いなく自分が好きだろうし自分の血肉になっているだろうよ。
  • 小説入門 (新潮文庫)

    小説入門 (新潮文庫)