ダービー馬ものがたり1

1966年:テイトオー

関西馬。ソロナウェー産駒。単勝12番人気で波乱を演じたが結局ダービーが最後の勝利だった。

1967年:アサデンコウ

シーフュリュー産駒。主戦増沢。皐月賞では1番人気を裏切り着外も七夕決戦で巻き返す。そのときの雷鳴と骨折のエピソードはとみに有名。けっきょく骨折の代償は大きくそのまま引退。

1968年:タニノハローモア

関西馬。ハロウェー産駒。戸山為夫初期の名作。ダービーまでに17戦消化。逃げであっといわせた、典型的な人気薄の逃げ切り。フロックとされたが、掲示板を外したのは生涯でじつは2回だけ。

1969年:ダイシンボルガード

イーグル産駒。タカツバキ事件が起きたダービーの勝ち馬。厩務員乱入事件で後世に名を残す。天皇賞・有馬では3着が精いっぱいだった。

1970年:タニノムーティエ

関西馬ムーティエ産駒。タニノチカラの兄。皐月ダービーの2冠馬。ダービーはアローエクスプレスが1番人気、自身は2番人気。喘鳴症を起こし菊花賞出走したものの3冠を逃した悲劇のヒーローとして語り継がれる。

1971年:ヒカルイマイ

関西馬。シプリアニ産駒。皐月ダービーの2冠馬。サラ系の出自として知られる。22頭ごぼう抜きの追い込みが決まり2冠達成。水上学の原点。菊花賞前に屈腱炎にかかり2年休養した挙句引退。

1972年:ロングエース

関西馬ハードリドン産駒。タイテエムランドプリンスと3強を形成。ダービーも3頭の叩き合いで名勝負と言われた。ダービー後は未勝利。代表産駒にテルテンリュウなど。

1973年:タケホープ

インディアナ産駒。ハイセイコーの夢を打ち砕いた競馬史に残るヒール。菊花賞ハイセイコーをハナ差退ける。春の天皇賞も勝ったしこの時期のダービー馬としては無事これ名馬だった。

1974年:コーネルランサー

セダン産駒。キタノカチドキを破る金星。それが最後のレースかつ唯一の勲章だった。
個人的には印象が薄いダービー馬なのだが、
キタノカチドキに皐月2着から雪辱
・ダービーで燃え尽きる
・それが最初で最後の栄光
こうやって列挙してみると『馬ドラマ』は多かった。