コラム〜HOWとWHATのアニメ論

何を―What―物語るか、ということと、どう―How―物語るか、ということは、どちらが先にくるのだろうか。
結論から言うと、前者の場合も、後者の場合もありうる。ただ、テクストというものは、物語られたものが肝要なテクストと、物語り方そのものが肝要なテクストの二種類に、比較的きれいに分かれるのだ。
 人間は物語を欲する生き物だ、という前提で話を進めたい。
 そして、アニメは物語る装置であるとしたい。
 戦後日本のアニメは、極端に物語に依拠している。歴史的経緯として、豊富な漫画原作の物語のストックが、テレビアニメはじめアニメ文化を支えてきた。たとえ『鉄腕アトム』が『ビッグX』だったとしても、日本アニメが物語を中心に発展するように運命付けられていたのは間違いないだろう。
 そして、物語偏重とでもいうべき日本アニメの特質は、「絵が動く」というアニメーションをアニメーションたらしめている本質とは遠いところにある。
 大雑把に言ってしまえば、フルアニメーションを捨て、リミテッドアニメを選択した時点で、脚本と演出主導の方向に日本アニメの進む道は決まっていた。
 いや、アニメの面白さはやはり絵が動くことではないか、作画が観るものを魅了するのではないか、という意見もあるだろう。しかし、あえて私は、作画も物語の一部であるとしたい。物語る手法のひとつとして、作画はあると思うのだ。そして私は、物語に依存する日本アニメの現在の状況を全力で支持したい。アニメの物語は想像力を刺激する。自分も物語りたいという欲求が生まれる。物語が新たな物語を生むのだ。アニメの夢はやがて新たな想像力となり、次世代のクリエイターに託される。
 現在の日本アニメの傑作に影響された新たなストーリーテラーの登場を望みたい。
 やはり、アニメを観て、アニメを作りたくなると思うのだ。
 それはなぜか。アニメの物語に突き動かされたからだ。
 アニメは物語る装置であるという前提で、話につきあってもらいたい。
 物語が命綱となるのは、やはりテレビアニメだろう。
 劇場作品と違って作画に予算がかけられないテレビアニメでは、どうやってストーリーで視聴者の興味を惹くかが問題だ。来週も観たくなるような、視聴を打ち切られないような、そんな魅力的なストーリーが理想だ。
 閑話休題。あなたは、いま現在、続きが気になるアニメはあるだろうか?
 個人的には、どうもここ数年、続きが気になるアニメ番組が少ないように感じる。これは原作付き作品の量が過剰なアニメ界の現状と密接に関わる問題だと思う。
 アニメを観るくらいなら、原作漫画を読んだほうが早い。
 そんな気持ちが、視聴意欲を削いでいるのではないか……あなたはどうだろうか?
 「アニメ化」は、メディアミックス・ヒエラルキーの頂点である。
 漫画がアニメ化すれば、莫大な経済効果が生まれる。第一に漫画が売れる。アニメ化の大きなメリットはそこだろう。
 ほかにメリットはあるだろうか。声がつくことはイメージの問題で良し悪し。だとするとキャラクターが動くことだろうか。
 ここで、皮肉にも、「絵が動く」というアニメーションの原点に立ち返ってしまう。
 漫画に色がついて、絵が動くこと。それがテレビアニメの原点なのだろうか。物語はどうでもいいのだろうか? 私は日本アニメは物語があるからすばらしいと言った。矛盾しているではないか。
 いや、冷静になろう。テレビアニメは確かに物語る装置なのだ。ただ、原作付きアニメ番組においては、作画や演出といった物語り方の部分が前景化されているだけなのだ。
 
私は、原作付きアニメ番組が、平板な画面づくりでいいわけがないと思う。漫画のコマをそのままコンテにしている番組もあると聞く。それでどうするというのだ。そんな番組は電波の無駄だ。
原作付きアニメは、作画や演出といった形式面に力を入れなければならない。原作と同じ話を放送するならば、シャフトぐらいぶっとんでなければならんと思う。

反対に、オリジナルアニメにおいては、作画や演出よりも、物語内容こそが前景化されなければならない。
そしてこのオリジナルストーリーの貧困こそが現在のテレビアニメの問題なのだ。やはりテレビアニメはオリジナル作品が引っ張っていかなくては、と私は思う。私は、第二のデジモンアドベンチャーを、第二の灰羽連盟を、第二のカレイドスターを望みます!