• カポーティの『冷血』という小説は冒頭から長い間、ガーデンシティー側(被害者側)の動向と犯罪者側の動向が交互に語られるのだが、やがて双方が接触する運命にあるわけだ。その場面の描写ははじめ被害者側の視点から行われるわけだが、これが映像として表象されると受容者の受ける印象は変わってくるだろう。『冷血』が映画化されているのは村上龍の『69』で知った。近いうちにかならず観るだろう。