• 土日は、競馬がある。夏競馬もやるのか? 多分、レースを生で観ることはするのではないか。となると本を読めるのは平日のあいだである。しかも一日に一冊のペースで読まないと200冊には間に合わない。『1日1冊主義』で行かなければ……しかし、平日でも木曜は予定がギチギチに埋まっていて一週間の想定アベレージは4冊。これでは、年度末に間に合わない。どうする? 長期休暇をフルに利用するしかない。夏休みに、平日、一日2冊本を読む。
  • けれども1日1冊を遵守するというのは実は相当な苦行である。そのためには何よりも「速さ」が要求されるのだ。早く読みきることを意識するとどうしても焦ってくる。文章に集中できず、目は文字を追っていても頭の中は雑念でいっぱいという始末である。読むのではなく、読み終えるのが目的になっている。理解しながら読まなければ!
  • しかし、理解しながらの精読にトライしようとすると、読破に6時間を費やした『これが現象学だ』(谷徹著:講談社現代新書)のいやな記憶がよみがえってくる。あの時のような苦闘は2度としたくなくて、精読と遅読は違うんだけど、俺は遅読しなくちゃ精読もできなくって。そもそも『精読』って何?
  • それから小説。以前、小説やエッセイ・詩など、文学的文章は速く読んだほうがむしろいいのではないかという文章を書いたことがあるが、本当の答えなど知っているはずない。
  • 部分よりも全体だ、ということなのだけれど。一部分にかまうと全体が見えなくなるということ。
  • しかし、どう読めば小説のひと作品を「読んだ」ことになるのだろうか?「あらすじ」を言えること? でもそうではないということが、いろんな人の書いたもの、直接聞いた発言によってわかってきた。では彼らはどう小説を読みこなしているのだろうか? そういうことに今悩んでいる。
  • 精読というよりは、くり返し読んだ本(マンガでも)が僕の本で大切な本だ。好きだからくり返し読むんだ、それで身になっていくんだという意見には同意だ。でも、それは改めるべきなのかもしれない。
  • 「理解すれば、理解するまで読めば一回ですむはずだ」と言う人もいる。