• 今日は11時に起床。きっかり十一時間寝た。
  • イヴのことを書くと、この年にして寂しさすら感じなくなった。ある集まりにケーキを自腹で買って持っていった。シャンパンとワインを飲んだ。ある人の発表を聞いた。その人の結論から、俺は一生をかけてこれについて格闘してもいいという概念についてあらためて敏感になった。すなわち文学の社会性である。
  • 話は変わる。ポストモダンについて。「大きな物語」と「帝国」は本当に違うのだろうか。似通っているとすると「大きな物語」はまだ死んでいないような気がする。またポストモダニストは単なる相対主義者ではないらしい。でも相対主義者的な側面があるらしい。難しい。私がポストモダンという言葉から真っ先に連想するのは、嗜好の多様化なのだが。しかし嗜好の多様化が幻想だとしたら?
  • たとえばテレビという今まで教会のような役割を果たしていたものが機能不全になりかけている。それはテレビが絶対でなくなり人々の興味がネットなどに移っていること。いや「ネットのほかに何があるだろうか」、新しい教会が。また教会がひとつだけになるような気がしてならない。テレビが果たしていた役割がどんどんネットに移行している・・・・・・だとするとモダンはまだ終わっていないのではないか。ネットの権威化ぐらいなら小学校高学年でもほざける。重要なのはポストモダンなど本当は始まってもいないのかもしれないということだ。
  • オタク文化も教会の候補だろう。
  • というわけで、安易に「ポストモダン」「ポストモダニスト」と口走るのは自重したほうがいいように思える。というわけで、今回の彼の「ポストモダニスト」の運用法は唐突な印象を受けた。(こんなこと公共の電波に乗せていいのかなぁ……直接彼に言えばよかったのだが。否定的な意見を書くのは初めてなので。発表者の某氏はこれを見ていたらできればコメントください。ほんとにこんなこと書いていいのかな……)
  • その会合の終了後、異例のメンバーで晩飯を食った。かなり話しこんだような気がする。話題のひとつに、哲学と宗教の違い。結論から言えば、哲学と宗教は違う。これはわかる。ではなぜ違うのか。これは哲学と宗教の歴史について知るしかない。
  • 純文学とライトノベルの違いを知るには、それぞれの歴史を紐とかなければならないように。
  • 哲学には「べし」「べからず」つまりshouldの部分がなく、宗教にはそれがあるような印象を持つ。
  • 今日の俺は不意にクリスマス当日の新宿というものを見物したくなり、総武線で出かけた。しかし新宿は平常営業だった。ジュンク堂に行くと、岩波文庫の棚に買占めのような痕跡があった。ロシア文学の棚にごっそり空白があったのだ。こういう事があると本当にへこむ。ドストエフスキー『白痴』新潮文庫版上巻だけを買い、はすむかいの紀伊国屋本店に向かう。買うべき本を無事発見。新宿本店もそんなに俺は悪くないと思う。エスカレーターが1-2Fの上りしかなくて移動が面倒だけど。